この物語は、
1995年~1997年あたりの見前南中学校(略して、ナンチュー)を描いたリアルな思い出ストーリーである。
「 南中物語。 vol.1 ~僕らの時代~」
現在では、「みるなん」と略されることが多いが....
私の時代は、「ナンチュー」と呼ばれていた。
(たぶん。)
当時、バスケ部でも
「ゴ~ ゴ~ レッツゴ~~ ナ~ン~チュ!(パンパンパン)」
と、リズムよく手拍子しながら試合を応援するかけ声があった。
現在も、私ヒットミーは 現役南中生をヘアカットしているが
お店でお客様と話すときは
なんとなく「みるなん」という呼び方をしている。
盛岡市と言えば、北海道の方たちもびっくりするくらい
冬場、気温だけはかなり冷え込む街である。
(雪もふるけど。)
道路が凍るのは、当たり前である。
discoveryにいらっしゃる他県のお客様にも、
「盛岡って、こんなに寒いんですね。」
と、よく言われる。
そう。
あの頃の 冬のナンチューと言えば、
手袋がわりに、軍手を着用するのが流行った。
(たぶん他の中学校とかでも流行ったのかな。)
校則で決められてるんじゃないか。くらい、みんな着用していた。
とくに男子。
間違っても、
黄色いプツプツがついたのじゃなく。
前も、後ろも 真っ白な軍手が流行ったのである。
ちなみに、
軍手が真っ白すぎると、「買ったばっかり感」が ややダサかったような気がする。
「使ってる感ある、くすんだ汚れ」が、軍手のイケてるポイントだった気がする。
ゆとりのある軍手。そして、カラフルな小さめのビニール傘。
ザックは、なるべく下までさげて背負い。
ジャージは、サイズ大きめを腰パンするのがかなりイケてた。
おしゃれな服屋さんの紐ついた袋なんかは、わざわざ学校に持ってくるのがイケてた。
私は、軍手を買い
古着屋で買ったカサカサしたウィンドブレーカーなのかよくわかんないやつを買った。
なぜか、ブルーに赤いラインが入ったやつを買った。
ファッションとか、よくわかんなかった。
ナイキのは、買えなかった。
とりあえずカサカサしてるやつなら、なんでもよかった。
家で着てみたら、思ったより小さかった。
えりがないから、南中ジャージがはみ出していた。
ただし。
わりと、気に入っていた。
さきほど、言った通り
私はバスケ部だった。
とある練習試合だったか、なにかの試合で
この、古着屋で買ったウィンドブレーカーを着ていった私は
とある中学校の方たちから、注目を集めた。
(記憶が定かではないが、こんなジャージの中学校があったはず。)
カサカサしてるのは、別として
色合いは、完全にかぶった。
知るわけがない。
まさか、どっかの中学校ジャージと色合いかぶるなんて。
知ってたら、買わなかったよ。
そう。
松園中学校である。
(たしか、そうだったような。)
バスケ部の仲間から、突っ込まれた記憶がある。
「色、かぶってんぞ。ひとみ。」
あの頃の僕らは、寒さなど気にしなかった。
~ 完 ~